飛騨ジモト大学を傍聴しました!
やっと行けた…
今年発足した「飛騨ジモト大学」
飛騨には何もない?
いやいや、地元のカッコイイ大人から学んでみようよ!
という試みです。
イベントと日程が重なりなかなか行けず
最終プログラム「大学生」の回にすべりこみました。
(イベントご一緒していたみなこさんも( ´∀`))

登壇する若い面々
なんとなく、キラキラですごい人たち!と思ってしまうのですが。
感じたのは、みんなもともといい意味で「そのへんにおる飛騨の子」ということ。
ターニングポイントがあり行動が変わる前は、
人見知りだったり、引っ込み思案だったりしたそう。
そして、行動を起こすと直面する
「出る杭は打たれる」という、あるある。
出る杭になって叩かれることには
30代の最近までしんどさを感じることがありましたが、
そこを10代20代で乗り越えていることがまぶしかったです。
「周りの目より、自分のやりたい事ができているか」
そう、それが大人になってもむずかしい。
でも、そうありたいよな。
一番心に残ったのは、
「飛騨への不満があまりない」
「周りにも帰ってきたい子が多い」
という話。
そういうメンバーが集まる場ということもあるかもしれませんが、
地元大好きな若い人が多いことにすごく驚いたしうれしかった。
というのも、
わたしが学生時代を過ごした20年ほど前は、
もっと地元に狭さや閉塞感を感じていたと思います。
以下、ただの回顧です。
あのころ、今と比べたら
交通の面でも、情報という面でも
飛騨は陸の孤島のような感覚でした。
高校時代はポケベル全盛期。
ケータイがあっても通話とメールのみ。
カラー画面もカメラ付きもまだなかった。
(数年後着メロが和音になって未来ー!って思った。笑)
ファミレス、チェーン店はほとんどなかった。
ローカルなコンビニしかなくて、はじめてサークルKが出来たとき、CMで見た「チビ太のおでん」をみんなで食べる謎の会をひらいた。笑
進学して、帰省したときは
免許のある子の運転で県境を越えて最寄りのファミレス「大沢野のガスト」へ語りに行くなんて猛者も。
その不便さが笑えて楽しかったんやけど。
(飛騨の24h営業の飲食店って、峠屋さんとかしかなかったな…)
気軽に買えるネット通販はまだなくて
お洒落な子は内緒でバイトしてお金をためて
名古屋まで買い物に行っとった。
高山にないヒスとか無印の袋を持っとるのがちょっとステイタス。笑
名古屋までも、まだ高速バスはなく。
というか、高速のインターすらなかった。
…エンドレスにできそうなBBAの昔語り!
なにを言いたいかというと。
この20年で飛騨は、
都会にも世界にもぐっと近くなったということ。
そして
考えの近い人とつながりやすいSNSのようなしくみが
若い学生さんたちのところまで行き届いていること。
それが、うらやましく、
とても喜ばしいと思いました。
大学生も、高校生も、たのもしい!
たくさん学んで飛騨へ帰ってきても、
世界とつながりながら、わくわくすることができるよ。
彼らのこれからが楽しみすぎます。
「デザインの仕事はここでは難しいよ」
そう言われたのは一度や二度じゃないけど、
わたしも今はここで、古い町と山を眺めては好きな仕事をできるようになった。
飛騨は…を言い訳にするクセがまだあるなら、改めなければ。
いつか戻ってきて、都会での学びをここで活かしてくれるひとが増えたら
うれしいです。
あ、あと、本筋と関係ない飛騨弁の質問に盛り上がっていただいて
ありがとうございます( ´∀`)
まとまっていませんが、
忘れんうちに。思いつくままに。
ありがとうございました(^^)
☆現在チャレンジ中のクラウドファンディング
「飛騨弁の本第2弾プロジェクト」
https://faavo.jp/hidatakayama/project/3922

たかんこ公式LINE@
今年発足した「飛騨ジモト大学」
飛騨には何もない?
いやいや、地元のカッコイイ大人から学んでみようよ!
という試みです。
イベントと日程が重なりなかなか行けず
最終プログラム「大学生」の回にすべりこみました。
(イベントご一緒していたみなこさんも( ´∀`))

登壇する若い面々
なんとなく、キラキラですごい人たち!と思ってしまうのですが。
感じたのは、みんなもともといい意味で「そのへんにおる飛騨の子」ということ。
ターニングポイントがあり行動が変わる前は、
人見知りだったり、引っ込み思案だったりしたそう。
そして、行動を起こすと直面する
「出る杭は打たれる」という、あるある。
出る杭になって叩かれることには
30代の最近までしんどさを感じることがありましたが、
そこを10代20代で乗り越えていることがまぶしかったです。
「周りの目より、自分のやりたい事ができているか」
そう、それが大人になってもむずかしい。
でも、そうありたいよな。
一番心に残ったのは、
「飛騨への不満があまりない」
「周りにも帰ってきたい子が多い」
という話。
そういうメンバーが集まる場ということもあるかもしれませんが、
地元大好きな若い人が多いことにすごく驚いたしうれしかった。
というのも、
わたしが学生時代を過ごした20年ほど前は、
もっと地元に狭さや閉塞感を感じていたと思います。
以下、ただの回顧です。
あのころ、今と比べたら
交通の面でも、情報という面でも
飛騨は陸の孤島のような感覚でした。
高校時代はポケベル全盛期。
ケータイがあっても通話とメールのみ。
カラー画面もカメラ付きもまだなかった。
(数年後着メロが和音になって未来ー!って思った。笑)
ファミレス、チェーン店はほとんどなかった。
ローカルなコンビニしかなくて、はじめてサークルKが出来たとき、CMで見た「チビ太のおでん」をみんなで食べる謎の会をひらいた。笑
進学して、帰省したときは
免許のある子の運転で県境を越えて最寄りのファミレス「大沢野のガスト」へ語りに行くなんて猛者も。
その不便さが笑えて楽しかったんやけど。
(飛騨の24h営業の飲食店って、峠屋さんとかしかなかったな…)
気軽に買えるネット通販はまだなくて
お洒落な子は内緒でバイトしてお金をためて
名古屋まで買い物に行っとった。
高山にないヒスとか無印の袋を持っとるのがちょっとステイタス。笑
名古屋までも、まだ高速バスはなく。
というか、高速のインターすらなかった。
…エンドレスにできそうなBBAの昔語り!
なにを言いたいかというと。
この20年で飛騨は、
都会にも世界にもぐっと近くなったということ。
そして
考えの近い人とつながりやすいSNSのようなしくみが
若い学生さんたちのところまで行き届いていること。
それが、うらやましく、
とても喜ばしいと思いました。
大学生も、高校生も、たのもしい!
たくさん学んで飛騨へ帰ってきても、
世界とつながりながら、わくわくすることができるよ。
彼らのこれからが楽しみすぎます。
「デザインの仕事はここでは難しいよ」
そう言われたのは一度や二度じゃないけど、
わたしも今はここで、古い町と山を眺めては好きな仕事をできるようになった。
飛騨は…を言い訳にするクセがまだあるなら、改めなければ。
いつか戻ってきて、都会での学びをここで活かしてくれるひとが増えたら
うれしいです。
あ、あと、本筋と関係ない飛騨弁の質問に盛り上がっていただいて
ありがとうございます( ´∀`)
まとまっていませんが、
忘れんうちに。思いつくままに。
ありがとうございました(^^)
☆現在チャレンジ中のクラウドファンディング
「飛騨弁の本第2弾プロジェクト」
https://faavo.jp/hidatakayama/project/3922
今後のイベント予定
☆8/11 Sarubobo Fes(こだまーれ関連イベント)
アートブースにて描きおろし作品出展
at まちの体験交流館
☆8/11 Sarubobo Fes(こだまーれ関連イベント)
アートブースにて描きおろし作品出展
at まちの体験交流館
デザイン・イラストのお仕事
小さなものでもご相談ください。
印刷まで一緒にお受けすることもできます。
デザイン/イラスト/ライティング
ワークショップ(イラスト・筆文字)
メニュー・料金表はこちら
アトリエプリーツ
http://www.ate-pleats.com
小さなものでもご相談ください。
印刷まで一緒にお受けすることもできます。
デザイン/イラスト/ライティング
ワークショップ(イラスト・筆文字)
メニュー・料金表はこちら
アトリエプリーツ
http://www.ate-pleats.com

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