助け合っても疲れていた理由
深刻っぽいタイトルになってまいました。
こたつにずぼりこみながら書いとるのに。
アトリエプリーツたかんこです。
上の子が小さい頃のこと。
夜寝ない、昼は暴走
制止は振り払い、モノはなぎ払う
パワフルなのに、病気がち
…と、手がかかった時期に
夫の多忙が重なって限界を感じたことがありました。

当時我が子の写真はほぼ残像でした
その時にぶつかったり歩み寄れたおかげで
家事や育児でうまく助け合えるようにもなりました。
それなのにさ。
最近でも「わぁぁ限界〜!」と、なることがあります。
なんでや。
夫は動いてくれるし子どもたちも赤ちゃんじゃないのに。
贅沢になってまったのかな。
そして、分かりました。
負担に感じていたものの正体は、
「把握」と「判断」
…これでした。
「作業」だけならこんなに疲弊しない。
わたしは自宅が仕事場なので自然と把握していることも多くて
いつまでに何が必要?
それなら今夜のうちにこれやわっておこう
子どもが病気でもしたら欠席や受診の判断
提出物や集金のチェックと準備
そんな、責任があり神経を使う部分をメインで引き受けていました。
押しつけられたとかではありません。
逆に、お洗濯などの「作業」って、
頭を空っぽにしてもできるし達成感があるという意味では、わかりやすいのかも。
(「献立」をいちばん辛く感じるのは、そういうことなのかな)
※ちなみに子どもが小さく寝不足の頃は「作業」も、辛かったです。
夫は体力があってフットワークが軽いので
「作業」の部分はわたしよりテキパキしているくらいです。
だから余計に、疲れてしまう自分が情けなくて、
ワンオペ育児家事というわけじゃないのに
ダメやな〜なんて思うこともあったけど、
「把握」を共有できる仕組みを作って
「判断」も、もっと相談していこう。
と、夫婦で話したり改善案を考え始めたら
もうそれだけで気が楽になってきました。
世の中には、まだ男女の役割における固定観念も根強くあるし、
正直、得意分野の傾向があると感じることもあります。
なにもかも平等だ!でなくても納得の上で分業にするのもありだと思います。
ただ、
「これが嫌、つらい」が出てきた時に
「そっちの役割やろ」と押しつけるままにしないで、
つらいって言うんやでなんとかしてみるか!と
歩み寄れる器の大きさは大事やなぁと思いました。
お互いに。
(ここで、お前も同じように稼いでみろよ!とかこんな家事もできないの?なんて責め合うと決定的な亀裂が入ってしまいそう)
会社員時代に「改善提案」ってあったけど、
家庭の中にもカイゼンを積み重ねて快適になっていくと、
けっこうわくわくするんやさな。
☆
飛騨の片隅に暮らすそのへんの人であるわたしには
いきなり世界平和を実現する力はないけど…
できることの少ない自分が大きな平和に近づくためにはまず、
不安や怒りにからめとられず小さな半径を安定させておくことなんじゃないか。
日常をおだやかに家庭から平和に
それが素晴らしいとかじゃなくて、まずはそれしかできん。
そんなふうに思う、このごろです。

子育てはまだ先が長いけど
報われる瞬間も増えてきました♡
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